ワールドスクールネットワーク2003年度
夏の研修会

 
阿部治さんの講演内容(その2)

 少し話がそれてしまいましたが、言いたかったことは、このままいくと大変な状況になってしまうということです。環境が悪化し、平和が脅かされるような社会が目の前に来ている。それを別の言葉でいうと、持続しない、維持できない社会が来ているということです。地元に置き換えて考えてもらうと、みなさんのまわりに若い人がどれくらいいるのか、あるいは今まで飲んでいた水の状態はどうかなど、身近に置き換えてもらうとわかると思います。例えば、今東京では毎日電車が止まります。人身事故といっていますが、みんな自殺です。日本では毎年3万人以上の人たちが自殺しています。世界の人口比で一番高いです。これは社会が持続しないというだけではなく、自分が持続しない。自分が生きて行く気力が湧かない、一人ひとりが持続できないという悲しい状況だと思います。生きていることの喜びや楽しさを味わえない、そして社会も持続していなかない、私たちの生きるベースである自然も持続しない、そういうなかで なんとか持続する社会に変えていかなくてはいけない。そのためには公正、公平、平等を考えることが必要ではないかということです。

 ひとつめは同じ人間なのに、日本に生まれた私たちと貧困地域に生まれた人たちの出発が違うという世代内の不平等の問題です。いくら塩沢が不況だと言っても、世界の途上国の人たちに比べたらまったく違いますよね。途上国の人たちも先進国の人たちも、もっともっと経済的に豊かになりたいと言っています。これ以上、途上国の人たちが日本やアメリカのような経済的豊かさ得たら、次の世代は生きていけないです。とすれば、先進国が物質的豊かさを落としていって、途上国の豊かさを上げていかなくてはいけないが、実態は難しい。

 二つめは世代間の公平、平等の問題です。私たちがこれ以上物質的な豊さを求めたら、次の世代は生きていけません。

 三つめは人と自然の問題です。いま地球上に、私たちが名前をつけている生物は2割くらいで残りの8割は名前もありません。それが人間の活動によってどんどん絶滅しています。いろいろな生き物がいることを生物多様性と言っていますが、これがあるから私たちは生きていけるのですが、知らない間にどんどん絶滅しているのです。

 今あげた3つの公正を具体化していく。非常に大変なことですが、これは地域で街づくりをしていく際にも同じことが言えます。そのためには持続可能な社会の視点としてどのようなことを考えなければいけないか、というのが自然、社会、人間の持続性です。  

 ひとつめは自然の持続性です。私たちが生きているのは自然があるから、利用できる自然資源があるからです。自然の持続性とは、自然のなかでものが循環することです。よく循環型社会という言葉を使います。例えば水の問題。世界中で水が回っています。海で蒸発したものが陸で雨になって降る。ところが温暖化によって雨が降るところが集中したり、降らない場所が増えたりと循環しなくなっている。また、例えば温暖化の原因である二酸化炭素。これもどんどん溜まって行くだけです。あるいは私たちの食べ物に入っている窒素。田んぼや畑を作るには窒素は大事です。日本は現在食べ物を輸入しているのでどんどん窒素が貯まります。窒素が貯まって土壌や水に窒素が多くなり、輸出国には少なくなっています。ゴミも同じです。本来循環するものがしなくなっている。もうひとつは生物多様性です。生物多様性は1970年代に作られた新しい言葉で、いろいろな種類の生き物が関わりあって生きている、ということです。塩沢の景色と新潟の景色が違うのは、そこに住んでいる生き物が違うからですね。これも生物多様性で、これを豊かにして行くのも自然の持続性ということです。  

 二つめは社会の持続性です。社会の一番小さい単位は家族です。ところが家族も地域もどんどん絆が弱くなっています。家族や地域に密接に関係している文化も弱くなっています。  

 三つめは人間の持続性です。さきほどひとりの人間としても持続しないという話をしましたが、精神的に非常に脆くなっている。もう6年前ですが、神戸で中学生が小学生を殺した事件がありました。犯人は神戸新聞社に犯行声明を送りました。その中に「透明な存在のぼく」という言葉があり、意味についてだいぶ騒がれました。少年は他の人たちや生き物とほとんど関わらなかった。関係が希薄だったために自分が生きていることの意味、生きていることが人の役に立つ、嬉しい、達成感、自己肯定感が育たなかったんですね。自分が生きていることが透明なんだ、誰とも関わっていないんだ、ということがあのような事件を起こしたのではないかといわれています。今の多くの若者が「透明な存在」ということに共鳴するんだと新聞で報道していました。ちょうど一昨年大学で少年と同じ年代の生徒に聞いたら、彼らは、自分も同じように思っていた、とてもショックだったと言っていました。この前の長崎の中学生の事件でも同じようなことが言えるのではないか。つまり、私たちは今、ここに生きているけれど、ここにいる意味。いろいろな人たち、自然との関わりのなかで生きている、生かされているということが自覚できない状況があるのではないか。その結果、精神的にも肉体的にも持続しないのではないか。

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